海彦と山彦-瀬戸の島景その後-

山彦のこと

芸術祭最後の日に「瀬戸ノ島景」をもう一度見に行ったところ、
作家の柚木氏本人がそこに佇んでいました。
そして、「どうせ知ってるだろうから手短に行くわ」という雰囲気で、
作品のテーマなどを本人の口から説明してくれました。

…古事記における、イザナギイザナミの夫婦による国造りのエピソードをモチーフとする。
矛の先から滴り落ちる液体からオノコロ島が、すなわち日本列島ができていった、
それと同じようにこの瀬戸の島々も形成されていった、というイメージを具現化する。…

僕の方は、まあ面白いけどテーマとかは別にいいや、ただ見て美しければいいんだ、くらいの感覚ですから、
作り手と観る側の意識の乖離というものは常に存在します。

それにしても一つ一つ丁寧に彫りあげたものです。150余の島がほの暗い空間に浮かびます。
見ている方は、一つ一つの島の名が知りたいと思うのですが、作家本人は、「固有名詞は重要視していません」と言います。
ここにも作り手と観る側の意識の乖離というものは存在します。

しかし、そんなことにも関係なく、美しい物というのはそこに厳然と存在します。

僕がふと、「どうやって島を正確に立体的に作り上げたんですか?」と尋ねると、
「地形図を見て、デッサンを書いたりしながら…」と彼は言います。
「地形図だけで立体をイメージできるものですか?」
「もともと山が好きで、山歩きをよくするんです。だから地形図を見て山の形を知るのは得意なんですよ。
こんなことに役立つとは思わなかったけど…」

海彦のこと

そこで僕は臼井氏のことを思い出しました。彼の方は海が好きで、スキューバダイビングをやる男です。
その技能を活かして、神浦(こうのうら)の美しい海の底に空気をためる装置を作り、
神の放屁に見立てた大いなるアブクを生み出そうという、
壮大なんだかふざけてるんだか分からないような作品を作ろうとしていました。

神様の1

「神様のおなら」がイメージ通りに実現していれば、
鏡面のように静かな神浦の海に大きな泡が同心円の波紋を広げ、
それがどこまでも広がり、人の心に波紋を呼び起こさざるをえない、
なんだかんだいって美しいものが生まれていたはずです。

残念ながら、彼にとっては不運としかいえない事故により、構想通りのものは実現しませんでした。
大きなものを失い、彼はさぞ落胆したろう、不本意だったろう。僕はずっと気がかりでしたが、
それに対する彼の答えはこのようなものでした。
「僕は何かを失うどころか、とても大きなものを得ることができました。それはやはりあの経験です。
作品は一つの波紋だけとなりましたが、今ではそのたった一つの波紋こそが神様のおならであったと思っています。
すべてのことに感謝しています」

落ち込み苦悩しなかったはずはないのですが。最後に前を向いて歩き出し、こうした言葉を吐ける男であれば、
必ずまた何か美しいものを作り出せるものです。

古事記では山彦は幸せになり、海彦は破滅しましたが、
現代の海彦は不遇を嘆くままでは終わらず、神浦で見事な音楽の催しを企画しました。
無数のキャンドルが夜の砂浜に並び、ピアノの音が静かに響きます。

ああ

ここでも運悪く大潮と満潮にぶつかって、ピアノの足は濡れるわ、
キャンドルを入れたコップが波にさらわれて流れ出すわで、
予定より早めに終わらせざるをえませんでした。
相変わらず彼は不遇でしたが、確かに美しい夜がそこにありました。
この世界に、一つでも多く美しいものがあるのはいいことです。

エピローグ

音楽会からの帰り道、妻と二人で美しい満月を見上げながら、
「神様のおならは尻つぼみだったが、臼井君は見事な最後っ屁をかましたな。」と僕がうまいことを言うと、
「あなたの言うことは美しくない」と妻が言いました。