「せとうち暮らし」8号の取材のため、粟島へ行ってきました。
車が一台乗る小さな船「あしま」に乗って、港に到着。
細かな船の面白情報は、8号をお楽しみに。
粟島の海を散歩して発見したものは、ヒトデ。しかも4本足!
こんなヒトデがいるんですね。
海には不思議な生きものがたくさんいました。
この環境に惹かれて移住してきたアーティストを「せとうち暮らし8号」でご紹介します。
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「せとうち暮らし」8号の取材のため、粟島へ行ってきました。
車が一台乗る小さな船「あしま」に乗って、港に到着。
細かな船の面白情報は、8号をお楽しみに。
粟島の海を散歩して発見したものは、ヒトデ。しかも4本足!
こんなヒトデがいるんですね。
海には不思議な生きものがたくさんいました。
この環境に惹かれて移住してきたアーティストを「せとうち暮らし8号」でご紹介します。

みなさんこんにちは。
「瀬戸つぶやき」のコーナー担当のJAIRO UDONです。
今回発売のせとうち暮らし7号では、高瀬にある山下おいり本舗さんの取材をしてきました。
その中で聞いたおいりの秘密を一つご紹介します。
おいりは実にカラフルなお菓子で、香川では結婚の際に用いられています。
実はその色の配分は季節に合わせて変えているそうなんです。
ちなみに写真は梅雨の時期のおいりの組み合わせ。
何を表現しているかわかりますか…?
これ、”あじさい”を表現しているのだそうです。
紫と水色と白が花で、緑が葉っぱ。
梅雨の時期あたりは写真に写っている色の割合が多くなっているそうです。
またぜひ機会があれば確かめてみてください。
現在は、桜の季節なので、
またそのような雰囲気を感じられる
色合いになっていることと思います。
おいりはいろんな季節で楽しめるお菓子なんですね。
そんなおいりや、
おいりを作っていらっしゃる、山下おいり本舗さんの大将のエピソードを
取材してきておりますので、
ぜひまた読んでみてください。
JAIRO UDON( @Jairotochi )
◎瀬戸つぶやきで情報を提供してくださったみなさん、ありがとうございました。
塩飽本島(しわくほんじま)の取材中のこと。あんなに晴れていたのに突然の大雪。
あっという間に雪景色です。いや、吹雪です。
塩飽水軍が力を持っていたここ塩飽本島では、船大工の技術も名声を轟かせていたようで
ここ尾上神社の拝殿は、塩飽補修工業学校の生徒による建築だそうです。
狛犬も雪がふると庭を駆けまわりたい気分になるのでしょうか。
乗松メガネのコーナーを書かれている考古学者の乗松さんと、本島の取材にきています。
今日も晴れて気持ちのいい天気です!こんな日は自転車にのって島を一周。
本島は自転車でぐるっと回るのにちょうどいい大きさの島です。
取材するのは島の塩屋みそ。本島の方は食材等は丸亀まで船で買い物に行くのに味噌だけは島のものを使うのだとか。
そんな島の味を取材してきます。せとうち暮らし春号の乗松さんのコーナーをお楽しみに!
自転車は、本島港の待合所で借りることができます。1日500円
現在、香川に競馬場はありません。
しかし、戦前、戦後それぞれわずかな年数ですが、競馬場の存在した時期がありました。
『せとうち暮らし』07号では、戦前に香川郡仏生山(ぶっしょうざん)町、現在の高松市仏生山町で行われていた競馬を取り上げます。
仏生山競馬は1929(昭和2)年10月18日に初めて開催されました。
その前日の新聞紙面には、「血わき肉躍る」仏生山競馬の記事が大きく掲載されています。
練習している馬や競馬場の写真も見えます。

(『香川新報』昭和4年10月17日)
3日間の開催後には賞を受けた馬の写真も載っています。

(『香川新報』昭和4年10月22日)
新聞からは当時の仏生山競馬への関心の高さがうかがえます。

こんにちは、小西です。
さて、今発売している「せとうち暮らし06号」には、せとちゃんのおみやげと題して、ちょっとしたおまけが入っています。島の人たちが発行しているステキなフリーペーパーや新聞などを少しずつ分けてもらってお届けしているのですが、小豆島からいただいたおみやげは、ある日、こんな風に私たちの手元に届きました。送り主は、小豆島でシーカヤックのガイドをしている自然舎のやまちゃん。彼らがつくっている「うららー新聞」のうららーとは、小豆島の方言で「うちら」の意味。つまり、小豆島に暮らす彼らだから知っている、日々の楽しみや島ならではのちょっぴりワイルドな遊び方を紹介しています。
島に通うようになって気づいたのは、島の情報って、ほとんどは島に住んでいない“第三者”が書いたり届けたものだということ。私たち「せとうち暮らし」も第三者なわけですが、それでも何とか島の人たちの生の声を直接届けられないかなと思って、せとちゃんにお願いしておみやげ企画が実現しました。
人が違えば、表現方法も違って当然なのですが、気をつけないと、つい金太郎あめのように同じトーンで島を語ってしまうことがあります。それは、都会から見た地方がみんな同じ顔に見えるのと少し似ているかも。そこに暮らす人が発するからこそ生まれる、息づかいや訛りや手触りみたいなものを、その人らしく伝えるにはどうすればいいのか? 「せとうち暮らし」をつくりながら、いつもそんなことを考えています。
湯だめそうめんのようにあったかい小豆島の人たち。その手触りを、せとちゃんのおみやげで、ぜひ楽しんでくださいね。
(ちなみに、せとちゃんのおみやげはいくつか種類がありますので、どれが当たるかはお楽しみです!)
山ちゃん、ありがとう!
悪魚は霊子の剣によって倒されました。
そして霊子たちは悪魚の死骸とともに福江(ふくえ)の海岸に流れ着きました。
海岸では童子の姿をした横潮明神が瓶に入った水を持って霊子のもとを訪れました。
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(続きを読む…)
その昔、四国には島のように大きな悪魚がいました。
悪魚は船を沈没させ、人々を食べていました。
このため、船での移動や品々の運搬ができなくなっていました。
時の天皇は兵士を派遣しましたが、悪魚に船を砕かれ、兵士を失ってしまいました。
困った天皇がヤマトタケルに悪魚退治を命じたところ、ヤマトタケルは15歳になる息子・霊子を推しました。
天皇は喜び、ただちに霊子に悪魚退治の任務を与えました。
霊子は津々浦々に兵を配し、悪魚の動向を監視しました。
悪魚は、ある時には土佐国に、ある時には阿波国の鳴門に出没しました。
しかし、激しい波と風で船が近づくことすらままなりませんでした。
翌年、悪魚は讃岐国の槌の門(つちのと)に現れました。

大槌島(おおづちじま)と小槌島(こづちじま)に挟まれた槌の門は、独特の景観のためか、さまざまな逸話をもっています。
海底には竜宮城がある、讃岐国(さぬきのくに)に流された崇徳上皇(すとくじょうこう)が経を投げ入れた…。
悪魚登場の舞台としても申し分ない場所だったのでしょう。