その昔、四国には島のように大きな悪魚がいました。
悪魚は船を沈没させ、人々を食べていました。
このため、船での移動や品々の運搬ができなくなっていました。
時の天皇は兵士を派遣しましたが、悪魚に船を砕かれ、兵士を失ってしまいました。
困った天皇がヤマトタケルに悪魚退治を命じたところ、ヤマトタケルは15歳になる息子・霊子を推しました。
天皇は喜び、ただちに霊子に悪魚退治の任務を与えました。
霊子は津々浦々に兵を配し、悪魚の動向を監視しました。
悪魚は、ある時には土佐国に、ある時には阿波国の鳴門に出没しました。
しかし、激しい波と風で船が近づくことすらままなりませんでした。
翌年、悪魚は讃岐国の槌の門(つちのと)に現れました。
大槌島(おおづちじま)と小槌島(こづちじま)に挟まれた槌の門は、独特の景観のためか、さまざまな逸話をもっています。
海底には竜宮城がある、讃岐国(さぬきのくに)に流された崇徳上皇(すとくじょうこう)が経を投げ入れた…。
悪魚登場の舞台としても申し分ない場所だったのでしょう。