屋代島から前島へ(ゲドの旅立ち)

周防大島は、正しくは屋代島と言います。
周辺には小さな有人島がいくつもあって、船で行き来できます。
私と、カメラマンの宮脇慎太郎氏は、
前島という小島に渡ってみることにしました。
せとうち暮らし12号の記事では、
文字数の都合で彼の存在は抹消されていますが、
実際は彼なしには前島取材はありえませんでした。

取材の間中、彼はひっきりなしに飲み食いしていました。
コーヒー、ナッツに蜜柑にチョコレート…

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私たちが前島に興味を持ったのは、この小さな島に牧場を作ろうと夢見て
尽力していた人がいるという話を知ったからです。
きれいな水が豊富に出るこの島は、牧場ができるじゅうぶんな可能性を持っていました。
それが国立公園法と真っ向からぶつかり、中途で頓挫したのです。
実現していれば、若い人を受け入れる仕事ができて、
未来への希望が生まれたかもしれない。
それこそ小豊島のように、牛でいっぱいの島になっていたかもしれない。

痛ましい夢の跡がそこにありました。

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もう一つ宮脇氏が興味を持っていたのは、黄幡神社です。
ご神体は、縄文時代から信仰されたといわれる巨大な磐座。

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歩いて三十分もすればじゅうぶん一周できてしまう島。
歩きながら宮脇氏はひっきりなしに食べているのですが、
自然に還る蜜柑の皮はその辺にポイポイ投げ捨て、
ナッツの包み紙などはきちんとしまうので、
弁えているな、と私は思いました。

海辺を歩くと、打ち捨てられた小舟が。
そして、そこに佇む男。ゲドの旅立ちか?と思いました。
上空にはハイタカが!

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(トンビです。)
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二人のお婆さんに出会い、黄幡神社の岩を見に来たというと、
いろいろな話を聞かせてくれました。
「あれは蛇神様で、金が入ってくる、商売がうまくいく、ちゅうて多くの人が拝みに来た。
30年とか前は、広島の方からも人が来ちょったが、今はもう誰も来んな。」
「ここは呉に近いから、戦時中は戦艦大和や陸奥が大きく見えた。
原爆が落ちた時は…学校の窓が揺れて、教室の中まで光った。」
「星が降ってきたかと思った。」
「戦争はとにかく、話にはならんよ」
「話にはならんな。」
「戦争が終わってよかったわ」
「パンでも何でも食えるようになったからな。」
そして二人は宮脇氏の方を見て、
「それにしても、あんた一人でずっと食っちょるな。」