『せとうち暮らしvol.11』「乗松めがね」の取材で高見島(たかみじま)出身の方をたずねました。
花嫁姿で船に乗って嫁ぐ60年前の古い写真についてうかがうのがメインでしたが、ほかにも昭和30年代に高見島で除虫菊をたくさん栽培していたことなども聞かせていただきました。
開花時期には島が白い花でいっぱいになったこと、子どもも花を摘むのを手伝ったこと・・・。
除虫菊は蚊取り線香や殺虫剤の原料で、白い花の部分を乾燥させて出荷していました。
別の場所でも「高見島で除虫菊をつくっていたのは昭和30年代かなあ」とうかがったので、図書館で統計資料を調べてみました。
すると、高見島の除虫菊生産のピークは昭和40年前後で、「昭和30年代」というのは生産を拡大していった時期にあたることがわかりました。
うかがったお話とほぼ合致します。
50年以上前とはいえ、栽培が盛んに行われ、子どもながら作業を手伝っていたことがみなさんの記憶に残っているのでしょうか。
そして、当時の除虫菊満開の高見島は「白雪に覆われたよう」とまで表現されています。
瀬戸内国際芸術祭2013の作品、除虫菊の家は、50年前の島の姿を思い浮かべながら訪れたいと思います。