大三島の大山祗神社(せとうち暮らしvol.13参照)を見た後、
私達は最高峰の鷲ヶ頭山登山に挑むことになっていた。
しかし、
「時間がない。鷲ヶ頭山の上までは車で送ってもらいましょう。」
カメラマンの宮脇氏の言葉に、私は耳を疑った。
山上まで登る手間を省こうというのだ。
そこから縦走して、安神山まで行って下りようというのだ。
最も険しい道のりを省略する。温い。温い気構えだ。
かなりのタフガイだと思っていたが、見かけ倒しだったようだ。
おまけに歩き始めて五分も経っていないのに、泣きごとを言い始めた。
「昨日祖谷渓の傾斜で転んで、カメラが腰にズドンと当たってね…
脇腹が痛いんですよね~」
しゃらくせえや、と私は思った。痛い痛いと言いながら山道を歩いて
飄々としているので、別に大したことはないのだろう。
「まるで南米だなこれは…」言いながら私たちはあちこちの岩棚によじ登った。
鷲ヶ頭山の緑豊かな生き生きした風景から一変して、こちらは岩と枯れ木が基調の殺風景。
それがひりひりするような切迫感と息をのむような神々しさをも孕んでいるのを、
二人とも感じていた。
ここは宗教的な土地であったに違いない、とつぶやいた彼は、
とりわけ目を引く形の岩をさして、
「あれは、リンガですね」と言った。
「リンガって何?」
「男根ですね。古代宗教で信仰の対象にされることがよくありますよね。」
涼しい顔で言われても、なるほど、としか言いようがない。
やがて登りを終え、安神山の頂らしき所に、コノハナサクヤヒメをまつる祠と石碑を見つける。
神仏分離以降縁は切れたのであろうが、かつてはこの山が大山祇神社と関わりがあったことは想像に難くない。
そして、この祠の形もまた、いわゆるリンガらしきものであった。
いかなる歴史によるものか、我々に詳細を知るすべはないが、
先ほどの岩の形も偶然ではなくて、おそらく彼の推察通りなのだろう。
「なかなか面白かった。後は下りるだけですね。」
下りる方がもちろん体力は消耗しないが、足には負担は来る。
私は注意深く、しかしかなりの速度は保ちながら、山を下って行った。
仲間たちとの待ち合わせに間に合わせなければならぬ。
後ろから宮脇氏が、
「いやー脇腹痛えなあ~」とぼやきながらどうにかこうにかついてきた。
そうとうな山歩きの兵と聞いていたが、たいしたことはないな、
軟弱なもんだな、と私は軽んじた。
三日後、ある男のレントゲン写真がFB上で公開された。
祖谷で転んで以来、肋骨が折れたまま走り回っていたことが判明した、
破格のタフガイのものであった。